うけとめるにはあまりに
 おもすぎたのかもしれなかった


   047:深海の底に沈むことが出来たなら、僕は物言わぬ石になりたい

 「戦闘隊長殿」
かしこまった言い方だが声に笑いが含まれていて、ライは苦笑しながら振り向いた。書類ばさみで留めた書類の束を抱えて日本解放戦線の軍服を着た藤堂が立っていた。藤堂の立ち居振る舞いは凛として美しい。脚を投げ出すように座ることもないし、立っていても座っていてもその膝が開いているところはあまり見たことがない。ただ立っているだけなのに背中へ棒でも突っ込んだように姿勢がよい。ライが喫煙室へ入ろうとするのをひょいと襟首掴んで止める。猫の仔でもつまみあげるようなそれに不満があっても正当性は藤堂の側にあると判っているから抵抗はしない。ライの隠しには銘柄の違う煙草が数本と燐寸が一箱入っている。藤堂はすぐさまそれを嗅ぎあてて取り上げてしまう。煙草の銘柄が違うのはちょろまかすからだ。歓談に夢中になって箱を放置しているところがら一本二本と抜いて隠しへおさめて何事もなく立ち去るのを繰り返す。案外気づかれないし様々な味が楽しめてよかろうと思っていた矢先だ。
「戦闘隊長殿はまだ法定年齢に達していないとお見受けするが?」
「そちらの朝比奈中尉の言葉を借りれば、僕は記憶がないですから成人してる可能性も無きにしも非ず、と」
途端に藤堂の顔が苦く渋いものになる。朝比奈は藤堂直属部隊の幹部だ。付き合いも長いらしく、この非合法団体に吸収される前からかなり親密なようでもあった。四聖剣と別称をいただく彼らと藤堂の間には断ち難い何かがある。それを逆手に取ったようなライの台詞にライ自身も言いすぎたかと覚悟する。度が過ぎれば藤堂は手もあげる。平手くらいは、と首のあたりが強張った。
  藤堂はふゥッとため息を吐くとライの手を取った。
「え、なに? なんで」
「話をお聞かせ願おう。事と次第によっては平手も覚悟していただく」
要するに説教か。何となく納得のいかぬものを考えながらライはとことことついて行く。藤堂があてがわれた自室のキィを解除する。開く扉を抑えるように立つ藤堂の目線が先に入れと促す。ライはお邪魔しますと断ってから敷居をまたいだ。整頓された部屋だな、と思う。帳面や鉛筆の尖りにさえ怠りはない。寝床はきちんと整えられているし、ごみや洗濯ものを溜めるような無精でもない。ただ、いつ死んでもおかしくない軍属であった名残か、整頓されて過ぎているという印象を覚える。私的なものはほぼなく、蔵書も家具もすぐさま業者やそのつてをたどれば処分できるだろう。不似合いに枕辺へ立てかけられているのは日本刀だ。鞘へ結ばれている紐は濃紫で多少返り血を浴びても目立たぬ配色になっている。
 ライの目線の先に気付いた藤堂が抜いて見ろという。
「いいんですか? 触られたら嫌なものとかじゃ」
「そこまで神経質ではないよ。君が抜けるか楽しみだ」
ライは鍔の際を持つと腰骨のくぼみにあてがい、ふぅと息を吸う。固く絞られた紐で綾なす柄に手を握り体温が馴染むかのようにゆっくりとぎゅっと握り直す。鞘の部分からすらりと音を立てて刀が抜かれた。途中で引っかかることもなく流れる動きでさらりと刃が馴染む。名刀だ。だが同時にこれは危険だとライの深層意識が警告する。

ほらほらほら
こうして武器を持って戦って――
そのあとは、
どうなったんだっけ?

ライの目が群青に濁る。亜麻色できらきらと蜂蜜色に融けていた髪は乱暴に紡いだ麻のようにぱさついている。右足を半歩後ろへ構え、切っ先を中心からわずかにずらす。肩を入れて柄を握り直す。ふわあと風のように殺気が立ち上り、藤堂の神経をびりびりと刺激した。
 その恐怖と闘いながら藤堂はライの手をそっと握り包んだ。
「放すんだ」
その言葉がきっかけででもあったかのようにライの体から力が抜けるように殺気は霧散した。ライはそっと藤堂の手を押し退けると居合術を心得るもののように刃を鞘へおさめた。
「手に怪我は?」
刀を藤堂に返してライは己の両手を確かめる。傷は別に負っていない。その旨を藤堂の目の前で両手を開いて振って見せる。
「ないですね」
言葉こそ笑うようだがライの額にはびっしりと玉のような汗が浮かんでいた。飽和して形の崩れた雫が垂れてライのこめかみや頬を伝った。
「何か思いだしたようだな」
藤堂の鋭さには脱帽する。四聖剣の面々の時も想ったが実戦訓練経験の豊富な彼等の感性は侮りがたいものがある。
 ライはどさりと寝台に腰を下ろした。藤堂も咎めない。刀を軽く点検してもとの位置へ戻すと隣へ座る。しばらく沈黙が支配する。ライは口にするべきかどうかを悩んだ。ライの記憶喪失はこの団体に所属した時から皆に明かしてあり、容認されてきた。顔を覆うように伏せたまま上げもしない。指先がぐしゃりと前髪を鷲掴む。その手がぶるぶると震えた。食いしばる歯の軋みが聞こえた。確かに記憶は取り戻したい、どんなものであっても。そう。そこに選り好みの余地などなくまたそんな権利も力もない。だからって――
 藤堂は何も言わない。せかさないし耳を塞ぐような真似もしない。ただ、ライが言葉を紡ぐのを待っている。殺気を向けられたことやライの戦闘態勢や構えにさえも言及しない。藤堂は書類を机に置いてこまごまとしたものをいじっていたが飲み物を出せないことを詫びた。ライはそれにさえ応える余裕がない。
「藤堂中佐」
返事はない。だがそれは聞いていないわけではない。藤堂の灰蒼がちろりと舐めるようにライを見た。ライはぐしゃぐしゃになった前髪のまま顔を上げた。
「思いだしたく、なかったかね」
泣きたくもないのに涙があふれて止まらない。ライは慟哭した。
「――知ってる! 僕は、僕には実戦経験があるんです絶対に! あなたに刀をむけたとき剣を持つ自分が見えた。戦闘機での話じゃないんだ白兵戦の殺し合い…――殺戮だ。僕は殺戮者だったんだよ!! 何人もの血を浴びて何人もの屍を踏みつけて、僕は敵を殺した、いや、殺さなきゃいけなかったんだ、僕は敵をころ…ころ、し…」
がくがくと膝が震えた。手が震える。華奢に細い指先は使う獲物が日本刀ではないからだろう、タコや豆や固くなる部位が違う。それでもライは気づいてしまった。殺気を纏って相手と対峙すること。その緊張感と勝利の血臭と足元に転がる肉塊の腐臭に。
「ころ、す…僕は、どうして、ころ…ッうぅ!…」
殺戮者であったことは間違いない。親兄弟皆殺しだ。いや違う。何が違う? 父王を殺したろう。兄皇子を殺したろう。隣国との戦争では前線に立って指揮しながら何人もの敵兵を屠ってきたろう。だがそれだけじゃない。

僕はどうしてそんなことをしたのか?
それは――オモイダサナイホウガイイヨ

きりきりと脳髄が痛んだ。脳の内側からちくちくと無数の針で突きさされるような痛み。それの痛みは痛いというより冷たいにも近くて血が通っているとは思えない。それでも血は通っているし、肉体に損傷はない。それがひどく赦されないような気がする。ライは素早く隠しから取り出したナイフで自らの手に突き刺した。ぱたたっと団服の膝へ血痕が飛んだ。藤堂が止める間さえない瞬時の早業だった。ぐり、と抉るように動かせばぼたぼたと流血の惨事が膝だけではなく大腿部へ広がって行く。黒を基調とした団服であるから血痕は目立たない。燃えるように焼けつく痛みと同時に体が冷えて行く。灼ける傷口と裏腹に体や思考が冷えて行く。
 「何をするッ」
慌てた藤堂がナイフからライの手を引き離した。藤堂はハンカチを歯で咲いてひも状にするとライの関節部をきつく縛りあげる。血行を悪くさせて出血量を減らすのだろう。藤堂は逡巡の挙句、ナイフを引き抜いた。同時に素早く傷口さえもきつく縛りあげる。藤堂は新しいタオルを出してきてそれでライの手を包んだ。
「救急班に手当てしてもらうと良い。なんでこんな、馬鹿なことを」
「鏡志朗。僕のこと、何も判ってないね。判らせるつもりがない僕も僕だけどね」
変わった呼び名に藤堂は立場や位置が変化したことを悟る。言及せずに藤堂はそのまま事態をやり過ごす。
「僕はもう僕のことを思い出すのが怖い。このまま海に沈んで物言わぬものになりたい。石でも貝でも死体でもいい。僕のことはもう、何もしない方がいい――」

「それはこの団体や我々さえも殺すということか」

藤堂の声が怜悧だった。冷たく鋭く論点をはっきりさせる。
「君には辛い記憶なのかもしれないが同時にそこへ居合わせた者にも消失を強いるということだ、それは。世界は一人では成り立たない。それは君が一番よく、知っているはずだ――」

世界は一人じゃない。僕が消えたって何の支障もなかろうと思うのに。
藤堂はお前が消えるということは困るという。お前を通じて知り合ったすべてが消えてしまう。

「酷なことを敷いているのは判っているつもりだ。非道と謗られても構わない。だが私は…君が、君を通じて知り合ったすべてのものにさえ、君が消えるということは影響してしまうと考える。自己完結で終わる世界などない。それを君たちが教えてくれた」
捕縛され処刑寸前だった藤堂を救出奪還したのは黒の騎士団と四聖剣だ。無論、四聖剣の要望だからと言い訳はたつ。だが藤堂はそこでゼロに言われたという。
「奇跡の責任を取れ。私の世界は私が死ねばきれいさっぱり終わるというものではないと、ゼロはそう言った」
ライの唇が戦慄いた。指先が震えてタオルのふんわりとした生地が温かい。抑えるようにかぶさる藤堂の手は大きかった。
「…――あぁああぁあああぁぁぁあああぁぁあ!!!!!」
声を上げてライは泣いた。慟哭と言っていいそれに藤堂は抱えるようにしてライを抱きしめた。傷を負った手からにじむ血がタオル越しに藤堂の制服を汚す。それさえ藤堂は気にもせずにライを抱擁した。
 「ぼ、くは、…ぼくは、いきて……ッいきてて、いいん、で………ッすかァあ…!!」
「どの世界の誰にでも、君に死ねと言う権利も権限もない」
ライの亜麻色の髪に指を梳き、藤堂がきつく抱き締める。亜麻色の髪は部屋の不安定な電力供給で金髪や銀髪にも変化した。ぱさぱさと毛先の広がる無造作な髪を藤堂は愛しげに梳いた。
「大丈夫だ。君は皆がいる。私がいる。私などでは足りんかもしれんがな」
ライはただ無心に泣いた。藤堂にすがりつくようにしがみついて泣いた。狂ってしまいたかった。

海の底へ沈む石のように何も感じずただ真っ暗なそこにいるだけの存在でありたかった。
そうすればきっと世界はもっと良くなるだろう。
藤堂に気を使わせることもなく、藤堂の好意に応えきれないこともなく、…――藤堂を好きだと自覚するでもなく。
好きであると気づいてしまったらもうなりふり構わずすがってしまうことが判っていた。

藤堂に抱き締められて泣きながらライは恨んだ。永い眠りから覚醒させたものを。永い眠りのまま見つかってしまった己を。そして長い眠りを続けられなかった己を。

「君は生きていていい。殺戮者と言うなら、私も立派に殺戮者だよ」
藤堂の気遣いにライの目に新たな涙があふれた。

ありがとう。
ありがとう。
ありがとう。

酷いことを言うあなたの言葉が私にとっては救いなのです。
あなたがいてくれたなら、ともに同じ道を見てくれたら。

ライは溜まりに溜まったありったけを慟哭で吐きだした。


《了》

ノーチェック!(いい加減にしろ)
なんかどっちも受け受けしくでどうしろと! みたいにとち狂った。            2012年2月5日UP

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